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東エルサレム地図

地図の東エルサレムです。 東エルサレム地図(イスラエル)を印刷します。 東エルサレム地図(イスラエル)ダウンロードしていただけます。 東エルサレムという言葉は、1967年以降にエルサレム自治区に編入された約70km2(27平方mi)の地域を指すこともあれば、1967年以前にヨルダンが支配していた6.4km2(2.5平方mi)の地域を指すこともあります(東エルサレムの地図参照)。東エルサレムには、外国人観光客や大使館員、一部のユダヤ系イスラエル人が、主にパレスチナ系イスラム教徒の居住区に住んでいる。この地域には、よく知られている宗教的な場所や考古学的な場所もありますが、日常生活のリズムを体験するために訪れる人もいます。賑やかなパン屋さんや市場の屋台、そして市内の他の場所よりも大きな音で鳴るムアッジンの祈りのコールなどです。

地図の東エルサレム

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旧市街のダマスカス門の外側には、エルサレムのほとんどがアラブ人の地域である東エルサレムがあります。門の東側、城壁の麓の庭園内には、東エルサレムの地図でもわかるように、旧市街の地下に広がる洞窟群、ソロモン石切り場があります。古くからの言い伝えでは、エルサレム第一神殿の石はここから切り出されたとされています。また、ユダヤ教では、紀元前587年に最後のユダ王ゼデキヤがバビロン軍から身を隠したという伝承があり、ゼデキヤの石窟としても知られています。ここから少し東(スルタン・スレイマン通り沿い)に行くと、ロックフェラー考古学博物館があります。中には石器時代から18世紀までの展示物があります。時間のない方には、南ギャラリーにあるカーメル山で発掘された「カーメルマン」と呼ばれる骸骨、北ギャラリーにある紀元前6世紀のラチッシュ文字、南部屋にあるアル・アクサ・モスクの華麗な彫刻が施された梁などが見どころとなっています。
 
ナブルス通りを歩いていくと、ローマ時代またはビザンチン時代に作られた「ガーデン・トゥーム」があります。1882年にゴードン将軍によって発見され、キリストの墓であることが確認されました。プロテスタントのキリスト教徒の中には、ここがキリストが埋葬され、復活した本当の場所であると今でも信じている人がいます。ナブルス通りを北上すると、フランス系ドミニコ会の聖ステパノ修道院があります。ここは、東エルサレムの地図にも記載されているように、キリスト教の最初の殉教者である聖ステパノの名前が石打ちで殺されたとされています。ここからセント・ジョージ・ストリートに斜行すると、マンデルバウム門の跡地に出ます。1948年から1967年の間、この門はエルサレムのイスラエル側とヨルダン側を結ぶ唯一の交差点でした。跡地にはプレートが設置されています。同じくセント・ジョージ・ストリートにあるミュージアム・オン・ザ・シームは、人権や紛争などの社会的コメントを扱った作品を展示している、イスラエルでは他に類を見ない現代アートミュージアムです。